女性専用風俗 東京秘密基地本店 (出張専門) | りょうまの軌跡【はじめてのひとへ】

2/9 02:57 UP! りょうまの軌跡【はじめてのひとへ】 RYOMA(リョウマ)(39)

RYOMA(リョウマ) りょうまの軌跡【はじめてのひとへ】
1985年10月15日に京都で産声を上げました。

記憶はありませんが、
すごく人見知りだったけど、
家ではのびのびと成長していたみたいです。
うち弁慶です。

今でも覚えているんですが、
5歳のときに、保育園の運動会のかけっこでさいごのコーナーを曲がるときに転倒してしまい、
すごく泣いたことを覚えています。
そのときに、人生にはうまくいかないこともあるんだなと若干5歳のときに思い知らされました。

小学校のときは、サッカーばかりしていました。
地元の少年団に所属し、副キャプテンをしていました。
ただ、当時副キャプテンの役割がよくわかっておらず、ただただ名ばかりの副キャプテンでした。

中学と高校はサッカー部に入り、
周りに上手な子たちがいっきに増え、
自分のサッカーの下手さを痛感させられました。
ぼくは中学3年間、一度もベンチメンバーには入れず、ユニフォームをもらえませんでした。
(2学年下の子は何人かもらってました)

このときに、性格が腐り始め、
このときに「なにごとも頑張っても意味ないや!」と思うようになりました。
本気で頑張れば頑張るほど、あとでより惨めになるのは自分だと、本気になることが嫌になりました。
この考えがこのあと何年間もぼくを苦しめ、本気になることから逃げる人生の始まりでした。

中学3年生のときに、おやじも病気で失いました。
半年ぐらいかなぁ?ほぼ毎日泣いていました。
このときに自然の出てくる涙に疲れてしまい、
感情に蓋をする術も学んでしまいました。
悲しさと向き合い続けることにクタクタになりました。

高校になり、全てを中途半端に、怒られない程度にしか取り組まず、
女性なれしていなかった為、女の子ともほぼ3年間喋らず、
彼女はできたことはありませんでした。

このときに出来た固定概念が、
「ぼくは世の中の女性から相手にされないんだ」という風に考えるようになりました。

この後、ぼくは26歳まで実家暮らしの、毎日パチンコ屋でアルバイトをして、休みの日はパチンコを打ちに、負けたら家でゲームをする毎日でした。
あとは良く近くの琵琶湖にバス釣りをしにいってました。
この間、ほとんど女性お付き合いすることもありませんでした。

26歳で地元京都の飲食企業に勤めました。
もちろん「なにごとも頑張っても意味ないや!」という考え方が中学のときから備わっていたので、怒られない程度にしか仕事には取り組みませんでした。

でもある転換期がありました。

それは、同期入社した同い年の社員が新店舗の店長になりました。
彼は一番忙しくて厳しいお店に配属され、ぼくは横目に「あの店に配属にならなくて良かった」と思っていました。

しかし、「なにごとも頑張っても意味ないや!」のマインドのぼくが、
彼が店長になったことに悔し涙が出てきたんです。

なにも一生懸命やってないはずのぼくが、惨めにならないためにがんばらないでおこうとしていたぼくが、涙を流したのでした。

そしてこの時気づきました。

一生懸命なぼくと向き合ってなかったのは、ぼく自身だったんだと。。

本当は“新店舗の店長になれるかも”って希望をもって頑張っていたぼくがいた。
そのまっすぐな「ぼく」に、ぼく自身が向き合ってなかったのだと気づき、惨めで泣いていたんです。

人には、
本当の自分と向き合うと辛くなるから、“頑張らない自分“を逃げ道のように作ってしまうことがあります。
まさにこのときのぼくはこれでした。

それからのぼくは無双状態。
マリオでいうスター状態です。
 
これまで本当のぼくと向き合ってこなかったわけですから、普通のひととのアドバンテージは凄まじい。
だから『ひとの3倍努力して、ひとの3倍考えて、ひとの3分の1の睡眠時間』
で努力しました。
勉強もスポーツも人間関係もなに頑張ってこなかったぼくにできる唯一の対抗手段でした。

この時から、ぼくの目の奥に炎が灯りました。
これはいまでも消えていません。


京都から大阪まで通っていたので、
電車に乗っている時間は全て本を読んで勉強、
お店の業務の仕込みも、昨日より1分でも早く終わるにはどうしたらいいのかと試行錯誤、
お客様には全力で「いらっしゃいませ!」と
「ありがとうございました!」を徹底。
誰よりも元気に働いていました。
アルバイトさんにはお店のために叱ることも、
この時から始めました。
この叱るが一番辛かったです。

そうこうしているうちに、当時の社長から京都の一番売上の高い店舗の店長を任せるという声がかかりました。

生まれて初めて他人から努力が認められた瞬間でした。
泣きました。
そして、ぼく自身がはじめて自分自身に
「良くやった」と思ってやることができた瞬間でもありました。


これを機に、さらにぼくは人に認められたく努力しました。

忘年会シーズンでは全国で1番の売上をたたき出し、
その時には50店舗ほどに増えた会社で最優秀店舗賞というのを2度もらい、
アルバイトさんもみんな喜んでいました。
このときから、部下が喜ぶ顔をみる快感にハマってしまい、
店長→京都のエリアマネージャー→関西のエリアマネージャー→関西の営業部長→関東の営業部長と、会社の規模が全国で160店舗になる中、ぼくも快進撃を続けました。

『努力すれば必ず誰かが見てくれている』

一度経験したことから、一気にぼくは努力できる人に生まれ変わりました。
ひとってたったひとつの経験で人生がガラリと変わるんだと知りました。

今は東京秘密基地でセラピストをして2年になりますが、
このときに培った経験をもとに、
専業になって6ヶ月で全国のリピートランキング1位になったり、
それを連続で取り続けたり、
本店の講師を最速で任せられたり、
今でもどんどん成長しています。

いまのぼくの夢は、
『世界一のSEXの学校』を作り、
日本の男性の性知識が世界一になり、
この世の中から女風がなくなることです。

今はあまりランキングにこだわることからは一線をおいておりますが、
性知識に関しては、お店で一番深く理解し、
それを人に伝える能力はぼくが一番だと確信しています。
ありがたいことに代表からもそう言っていただけてます。

これがぼくの39年間の軌跡(奇跡)です。

今女性用風俗の利用に勇気がでずに悩まれている方、
利用したことあるけど嫌な経験をされた方、
なにかわからないけど現状に堪えきれず秘密基地のHPを覗かれている方。

ぼくはなにごともうまくいってきた人生を歩んできていません。
むしろ失敗に臆病で、逃げてばかりいた側の人間です。

良かったらいっぱい共通点があると思います。
寄り添えると思います。

もちろんエロも超大好きです!

是非、勇気がでたらで大丈夫なので、
ご連絡お待ちしていますね

『努力すれば必ず誰かが見てくれている』

東京秘密基地本店セラピストりょうま☘️

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